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札幌家庭裁判所滝川支部 昭和39年(家)157号 審判 1964年7月16日

申立人 野田秋男(仮名)

主文

本籍北海道歌志内市字中村○○番地筆頭者野田千秋の戸籍中長女花子の出生年月日欄および身分事項欄の出生の年「昭和三六年」を「昭和三五年」に、同じく身分事項欄の出生届受附の年月日「同年六月三〇日」を「昭和三六年六月三〇日」にそれぞれ訂正することを許可する。

理由

本件記録に編綴の主文掲記の戸籍の謄本、家事審判官の申立人に対する審問の結果ならびに当裁判所の照会に対する羽幌築別炭鉱病院長の回答によると、主文掲記の花子は戸籍上昭和三六年四月一日出生したものとして記載されているけれども、事実は昭和三五年四月一日生れであつて、上記出生年月日の記載は誤りであることが明かであるから、これが訂正についての許可を求める本件申立はこれを相当として認容すべきである。

ところで、さらに上記資料その他当裁判所の調査の結果によれば、申立人は昭和三四年四月頃から現在の妻梅子と事実上の夫婦として同棲し、翌三五年四月一日その間に花子が出生したが、梅子には当時戸籍上の夫野田松男があり、梅子は昭和三三年一一月頃松男と事実上の離婚のまま申立人と内縁関係に入つた関係上花子を自分達の子として届け出ることができなかつたこと、そこで申立人等から野田松男に対し再三にわたつて同人と梅子との正式離婚方を申し入れ、昭和三五年一一月二二日になつてようやく調停離婚が成立したので同月三〇日その届出をし、さらに昭和三六年六月一九日申立人と梅子との婚姻届をすませた上、同月三〇日に至つて花子が同年四月一日に生まれた旨の出生届をしたため、同女を申立人等夫婦の長女とする本件戸籍の記載がなされた事実が認められるのであつて、花子につき上記生年月日の訂正がなされるときは同女は母梅子とその前夫野田松男との婚姻中に懐胎出生したことになるので、民法第七七二条の嫡出推定との関係でたんなる生年月日の訂正のみに止まらず、これに伴つて当然に父の氏名および出生届出人の資格についての訂正も必要となつてくるのではないかの問題があり、現に戸籍訂正の実務上はそのように扱われている。

しかしながら、花子の真実の父が申立人であることはすでに前段認定のとおりであるから、本件で花子の戸籍につき父の氏名および出生届出人の資格の訂正をした場合は、後日さらにその訂正記載を真実に合致するよう、つまり現在の戸籍どおりに再訂正することが必要となるのであつて、かかる訂正手続をくりかえすことはあまりに形式論理にとらわれた迂遠の業といわねばならない。もつとも本件のような事実上の離婚をした女が他男と同棲して懐胎出生した子について民法七七二条の嫡出推定に基づく戸籍の記載がなされた場合、その戸籍上の父との親子関係不存在に基づく戸籍の訂正は常に必らず戸籍法一一六条の確定裁判(判決または家事審判法二三条の審判)を得てなすべきであるとの見解に従えば、未だかかる確定裁判のなされない本件においてはひとまず民法七七二条の推定規定の範囲内での訂正にとどまるのが至当だということになろう。けれども、上記花子は母梅子が野田松男と事実上の離婚をなし、相当長期にわたつて申立人と同棲中に出生した子であつて、野田松男の子でないことが客観的にも明らかな場合であるから、かかる子については実質的には民法七七二条の適用がなく、この場合の戸籍上の父子関係を否定するには嫡出否認の方法によるを要せず、一般の親子関係不存在確認で足るものと解されており、そうだとすれば、上記父子関係の不存在に基づく戸籍訂正のためにはあえて独立の確認裁判を経ることを要せず、戸籍法一一三条の許可を求める審判手続中においてその事実が確認される場合は直ちに訂正を許してさしつかえないものと考える。

よつて当裁判所は叙上の見解に基づき、本件花子の真実の父は申立人であるから主文掲記の花子の現戸籍における父の氏名および出生届出人の資格の記載には何等の誤りもなく、出生年月日の記載のみを錯誤として訂正すべきものと認め、主文のとおり審判する。

(家事審判官 小石寿夫)

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